もうずいぶんと昔、太田くんという友達がいました。
なぜ過去形かと言うと、最後に連絡をとったのは10年ほど前だからです。
国交断絶、国境封鎖、あめあられ。
しかしながら、特段悲しいということもありません。
なぜなら、彼の性格が希にみる悪であったから。
出会いはとある飲み会でした。
確か他大学の先輩が開いたもので、頭数をそろえるために呼ばれたと記憶しています。
そこに、太田くんもいました。
初めて見た彼は、これまた他大学のちょっと軽そうな、スタイルのいい女の子にしつこく「USJに行こう」と話しかけているところでした。
女の子は「大阪まで行くなら泊まりになるから、何人か声かけよう」的な話しをし、太田くんは「いや、大人数だとアトラクションを回るときに小回りが効かないから2人で行こう」とパリのダカールラリーにでも出場するかのような謎の持論をもって説得をしていて、あわよくばを狙う、姑息なクズ野郎だな、という印象を抱きました。
あまり近くにいて巻き込まれたくないし、そもそも大田くんの声が選挙演説並みにでかいのが気になったので別の席に移動しました。
移動先では世界一周から帰国したばかりの人の話が面白くて、中東の文化のちがい、同じ米食でも考え方がちがいパンを一緒に食べることなどの話を聞きながら、楽しく過ごしていました。
しばらくすると、太田くんがやってきました。
「いやー、あきまへんわぁ。ええ女はあかんねん〜」と、エセ関西弁を話しながら近づいてきたので、新宿で見かけた猫みたいにでかいネズミに対するものと同じ目をしてしまったのを覚えています。
それから彼は当時みんなが持ち始めたばかりのiPhoneをいじりつつ、つまらなそうに別の海外旅行を趣味としている人の、南米を回ったときの話を聞いていました。
このあたりで、実は僕もクズなので先輩の話に飽き、まだガラケーである自分の携帯をいじりはじめました。
そして、太田くんと目が合いました。
なぜかそのとき、口をついて「アドレス交換する?」と出てしまい、彼もまた「しようしよう!」と同意しました。
少し話すと、妙に気が合い、僕と太田くんは友達になりました。
太田くんはとにかく口が悪く、マックの窓際の2階席から、下を通りかかる女性に点数をつけるという悪辣ぶり。
しかし、僕のほうが点数が辛く、よく「のじくんは鬼やな〜」と言われていました。
お察しのとおり2人ともモテないので、いつも男同士のみ。
彼の家に行っては(部屋だけはいつもキレイでした)、TSUTAYAで借りた社会派映画とエッチなビデオを交互に見て、己を鍛える、という遊びを繰り返していました。
そんな日々が月に2度ほど、半年は続いたある日、太田くんにガールフレンドができました。
さて、なにを隠そう冒頭でお話ししたUSJに行こうと誘っていた女の子、彼女こそがその人だったのです。
あの後、力業で連絡先を聞き、ほんとうに2人でUSJに出かけていました。
僕は「なぜこのクズが…」と、人間が分からなくなり、同時に女性というものが分からなくなり、1日ほど部屋から外を眺めていました。
1日経つと頭も冷え、冷静に物事を考えられるようになりました。
「人にはそれぞれ大切にするものがある。彼には彼なりのすばらしい点があり、目の曇った僕にはそれが見つけられないだけなんだ。あの彼女も、とんでもないビッ●だから、まあ、いっか。」そう思ったらすごく気が楽になって、肩の力が抜けました。
その後も太田くんとはときおり飲みに行っていましたが「彼女が僕をはなしてくれんくて〜」と、エセ関西弁を話しながらお酒の誘いを断られつつ、すこしずつ疎遠になっていきました。
最後に会ったときは、なんの断りもなしにビッ●彼女を連れてきて、露出度の高い服を着ているにもかかわらず「のじくん、こいつの胸おっきいやろ〜」と自慢げに話し、かつ彼女がえへへ的に笑ってているのがエベレスト級に腹立たしかったので、彼女の胸元をガン見しながら酒をがぶ飲みしました。
学生時代の友人関係というのも希薄なもので、それからしばらく期間は空いて、太田くんの話を聞くこともなくなりました。
6年ほど前に、当時の飲み会を開いた先輩とお会いした際に、子どもが5人いて北陸のほうに住んでいる、という話を聞いたのが最後に知る消息です。
少子化時代に5人なんて、すげえな、と思いつつ、彼の顔を思い浮かべます。
笑福亭鶴瓶と、サカナクションのボーカルを足して2で割ったようなあの笑顔。
その横でおもくそ胸の谷間を見せてくる浜崎あゆみの劣化版のような彼女。
実は、彼女は先輩の元カノで、当時も月一で会っているという話は最後まで伝えることができませんでした。
ちなみに、結婚相手もその彼女で、6年前にも半年に一度先輩は会っていると言っていたことも伝えられていません。
北陸、そこは厳しい冬を乗り越える地。
この事実を知りながら飲む酒は、実にうまいもんでしたわ〜。