前回に引き続き、今回もマイルスと一緒に時代を切り開いてきたドラマーをご紹介しようと思います。
前の回ではバップを完成形にしたフィリー・ジョー・ジョーンズを紹介しましたが、今回はバップから離れてジャズにロックのフィールを取り入れたドラマーであるジャック・ディジョネットをご紹介したいと思います。
ジャック・ディジョネット(1942年ー現在)
シカゴのイリノイ州生まれ。4歳の頃にまずピアノを始めて14歳のときにプロピアニストとして演奏したのちにドラマーへと転向したそうです。その後シカゴのAACM(Association for the Advancemet of Creative Musicians)という団体に入りハードバップ、R&B、アバンギャルドな音楽を経験します。
その後1960年にジョン・コルトレーンのバンドで演奏するチャンスがあり、このときに彼の中で大きくジャズに対する価値観が深まりニューヨークに活動拠点を移します。
それから1966年にチャールス・ロイドというサックスプレイヤーに雇われて活動したこのバンドがアメリカでブームになりました。
このアルバムがディジョネットが参加している作品。これを聴いている感じはエルビン・ジョーンズにプレイスタイルがそっくりですね。
そしてこれがマイルスの目にとまり1969年マイルスバンドに正式に加入してジャズの新時代を築いていきます。
ディジョネットが活躍した時代
時代の流れとしてはフィリー・ジョー・ジョーンズの後にモードジャズの時代に突入し、ここで希代の天才ドラマー、トニー・ウイリアムスがカリスマ的な存在で世間を圧倒させます。
このときのマイルスバンドは第2黄金期世代と言われ、今もファンの間では大変な人気を誇ります。これが1964年の間から1968年まで続きます。
リズムもハーモニーもかなり高度なものとなりスイングジャズとフリージャズの境目をうねるようにすすむ、とてもスリリングなバンドでした。
第2黄金期世代が終わり、マイルスが次にやりたかった音楽ではディジョネットを必要としていました。
その音楽とはスイングではないロックのような8ビートに、エレクトリックなサウンドを使ったジャズ。
この時代これをジャズと呼ぶのは相当抵抗があったと思いますが、これが発展してジャズとロックが混ざりフュージョンと世間が呼ぶようになります。
マイルスはジミ・ヘンドリックスなどのロックをやっているミュージシャンの音楽を聴いてエレクトリックでしかできないコードのサウンドが欲しくなったようです。
そこでチャールス・ロイドのバンドでディジョネットと一緒に活動していたピアニストのキース・ジャレットもマイルスが気に入って引き抜きエレクトリックピアノを弾かせました。
そしてキースだけではなくスタン・ゲッツやサラ・ボーンと仕事をしていたチック・コリアや、キャノンボールのバンドをやっていたジョー・ザビヌルなど気に入ったピアニストを集めてローズピアノなどのエレクトリックピアノを弾かせました。
そして今までのジャズではできない新しい形のジャズを始めていく時代にジャックが関わっていきます。
4ビートではない新しい形のジャズ
ディジョネットがマイルスバンドで関わった最初のアルバム「In A Silent Way」ではDisc2の”Ascent”,”Directions I” ,”Directions II”の3曲ディジョネットが叩いていて他の曲はトニー・ウイリアムスが叩いています。
このアルバムではスイングフィールをやっておらず一定のグルーヴを持つイーブン8の感じがメインになっています。
ロックのようなベースのフレーズをエレピとベースがひたすら演奏し続け、そこに一定のグルーヴと熱いエネルギーをジャックが注ぎ込みます。
その上にマイルスやウエインが乗っかったりして音楽の層の厚みを創り出しています。エレピのソロになると静かなカラーに変えたりして往年のマイルスバンドのカラーの変え方をしています。
ロックのテイストと言ってもジャズプレイヤーが演奏するロックという感じで、シンバルやスネアなどでグルーヴを作るスタイルです。
スイングではできない縦のグルーヴの感じや抽象的な表現、ロックのような爆発力をディジョネットはここで発揮させています。
マイルスバンドで発揮したディジョネットの持ち味は
爆発力こそディジョネットの持ち味でしょう。
アコースティック楽器中心であったそれまでのバンドでは、演奏に対して音量の問題が大きく影響しました。
大きなホールや野外などではマイクを使っても楽器やマイクの位置により音が小さくなったり、演奏中に感極まって楽器を少し動かすだけでもマイクの拾える音が薄くなったりと、本来大きな音を出すことのできるドラムもこまかな演奏の妙を伝えるためにあえて音量を落とす工夫が必要であったようです。
しかし楽器がエレクトリックに変わるとさまざまな楽器がアンプを使って音の出力を上げられるようになり、その分ドラムも遠慮なく音量を出す、もしくはこれまでよりも大きな音を出す必要が出てくるため演奏者自身のパワーが要求されるようになります。
トニーも十分なパワーがありましたがそれに並ぶくらいディジョネットも瞬発力とパワーを兼ね揃えています。
そしてディジョネットのもう1つの持ち味は表現の自由さです。バックビートがあるR&Bをやる前にアバンギャルドやハードバップを経験しているので抽象的な表現が体に染み付いています。
ビートがない曲でもドラムの繊細な音色や倍音の響きを使って芸術的に雰囲気を変えていくアプローチは「Bitches Brew」のアルバムでも見事です。
バップからフュージョンへの掛け橋を作った
ディジョネットの演奏での憧れは、きっとトニー・ウイリアムスやエルビン・ジョーンズのようなスタイルです。それが顕著に演奏に出ているので本人はこのプレイスタイルでやっていきたかったのでしょう。
しかしロックのテイストを元々持っていたディジョネットを、マイルスがエレクトリックなバンドで掛け合わせ、トニーやエルビンとは少しちがう方向へと導き、これが自然と最先端の音楽となり、この時代の新たな音楽が生まれました。
マイルス・デイビスという人はさまざまな演奏者の才能を開花させ、世に発表しますね。
マイルスと衝突
そんなマイルスとディジョネットの関係ですが、ディジョネットはマイルスに向かってキレたことがあったそうです。
マイルスバンドでは彼女や奥さんをライヴやツアーに連れれて行ってはダメというバンドのルールがありました。理由としては女性を連れていくと自分をよく見せようとしてプレイが変わってしまうという理由です。
ですがこのときのディジョネットの場合は、奥さんが妊娠8ヶ月で何かあったときのために隣にいてあげたいのでツアーに同行させたいということでした。そのお願いをマイルスにしたそうですが即却下されたそうです。
ディジョネットはツアーは出ないとマイルスに言って抵抗をしたのでマイルスは渋々ツアーに同行するのをオッケーしました。
今の時代この状況だったら連れていっていいじゃない、と思ってしまうんですが当時のジャズミュージシャンを取り巻く環境は今よりもかなり荒れていて、ミュージシャン自身のバンドへの姿勢も現在では想像できないほどラフに臨んでいる方もたくさんいたそうです。
そういった中で、マイルスは音楽を第一に考えたい、または考えて欲しい、という意志からこのようなルールを作ったのでは、とも思います。
しかしディジョネットはそんなんで音楽が変わるわけねえと言わんばかりツアー中にすごい演奏をやってのけたそうです。その様子を見たマイルスは考え直し、この同行ルールはなくなったとか。
言葉だけではなくその“姿勢”を形として見せることは、誰にでもできる訳ではないことを、皆さんもご存知だと思います。
マイルスと関わったオススメのアルバム
第2黄金期の後に「In A Silent Way」を聴くとジャズの進化の流れがすごくよくわかります。「Bitches Brew」からはこちらの感性を試されている気分になるくらい実験的でこれから新しい音楽が生まれそうな何かが感じられるアルバムです。
その2枚のアルバムの曲をライヴレコーディングしたアルバムが「Live at Fillmore East」になります。
「On The Corner」は聴きやすくなりもっとファンクやロックの聴きやすいテイストになっていてマイルスもワウを使うようになっています。
先日(2022年8月下旬現在)誕生日を迎え80歳になったジャック・ディジョネットですが今も現役バリバリでやっています。
今はマイルスのようなバンドをやることはなく持ち味の表現力を今でも発揮してECMのアルバムからラヴィ・コルトレーンやマシュー・ギャリソンと一緒に自己のアルバムを出していたりしますのでこちらもチェックしてみてください。