両国とは、隅田川にかかる両国橋近辺を指す地名だ。
言わずと知れた両国国技館や巨大なデザイン建築の大江戸博物館、また外国人旅行者がよく訪れる場所としても有名。
夕方くらいにぶらっと町を歩けば、ふんどしかつぎの相撲とりがコインランドリーで洗濯しているところにも行き合う。
そんな両国は、僕の好きな人々が暮らしたところであった。
仮名手本忠臣蔵の舞台
仮名手本忠臣蔵とは、赤穂浪士達の吉良邸討ち入りを題材とした人形浄瑠璃だ。
その後歌舞伎にもなり、2017年には国立劇場にて約30年ぶりに3カ月に渡る通し狂言を行った。
僕は仮名手本忠臣蔵の大ファンなので、大序から十一段目の最後まで3カ月にわたり観賞。
四十七士がぱーっと横一線に並び立つ姿など、感動で涙を流した。
討ち入りは史実であるからして、人形浄瑠璃では名前を変えている。
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)は「塩冶判官(えんやはんがん)」、吉良上野介(きらこうづけのすけ)は「高師直(こうのもろなお)」だ。
そして、この討ち入りが行われた高師直、もとい吉良上野介の上屋敷は両国にあった。
本来はもっと広大な土地であったが、討ち入り跡にこの屋敷は没収され、現在は小さな公園として姿を残すのみ。
「みしるし」とは吉良の首のこと。討ち取った後ここで洗ったそうな。
両国近辺は葛飾北斎が居住した場所が多い。多いというよりも、引っ越しすぎといえるほど。
実は悪い人ではなかった吉良上野介?
この説は仮名手本忠臣蔵ファンの間でも議論の的になっている。
多くの研究が発表されていて、吉良上野介を悪役ではないと捉えた創作小説もあるくらいだ。
たかだか10冊少しの資料を読んだ程度なので、諸先輩方からはッ倒されそうだが、一応概要を記しておく(本当のファンは自費出版で論文を出したりしている)。
・そもそも、赤穂浪士の討ち入りは徳川太平の世に起きた久しぶりの合戦であった。
平々凡々とし、階級制度になんのひび割れもなく続く封建制度。
そんな時代に飽き飽きとした「江戸っ子気質」とも呼ばれる粋の好きな人々は、すぐ近所で起きた討ち入りに、興奮のあまり話に尾ひれをつけまくって流布。
人形浄瑠璃となった時点でもはやファンタジー化。
・しかも吉良上野介は、作中で描かれるような悪人ではなく、むしろ浅野内匠頭はかんしゃく持ちとして有名だった(一説では)。
吉良が浅野内匠頭や他の諸藩主にした意地の悪い行為は、お上の知るところとなればお家取りつぶしになりかねない。
そう考えると、リスクが高い。だいたい、朝廷のしきたりを各藩主達に教える役割である吉良は、お坊ちゃんであり、他の人間に注意されることの少ない藩主に憎まれやすい立場だった。
また、巷間に流布した意地の悪い行為は、赤穂浪士の討ち入り後に流布されたものがほとんどと言われている。
・おまけに、赤穂浪士達は主君を失ったことで無職のフリーターに。
女房・娘は女郎に、自分も食うや食わずやの状況で、実は討ち入りは士官を目的とした最終手段であったのではとも言われている。
・そもそも、夜陰にまぎれて寝込みを襲い、雨戸にくさびを打って開かないよう細工をし、一箇所作った出口の外に弓を配置しておくという戦術は、よくよく考えてみれば集団虐殺である。
など、いろいろな説の発表、研究がされている。
事実はどうであれ、仮名手本忠臣蔵と、映画などで描かれる忠臣蔵は「誠の義」を体現したすばらしい作品だ。
余談だが、じつは四谷怪談は仮名手本忠臣蔵の関連作品だということは意外と知られていない。
興味のある方は是非、吉良邸に行った後歌舞伎座でも行って、その後僕と語りおう。8時間くらい。
両国は、ほかにも著名人、歴史上の人物とゆかりの深い土地であるが、とりあえず今日はここまで。
おいしいご飯屋さんもたくさんあるので、オススメですよ。