マイルスもベタ褒め!第2黄金期へ導いた凄腕のトニー・ウィリアムス

マイルス トニーウィリアムス

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マイルス・デイヴィスを支えたドラマー第4弾の今回はトニー・ウィリアムスを紹介したいと思います。

以前にもこのドラマーを取り上げたので紹介しなくてもいいかなとも思ってましたが、やっぱりこのドラマーなしではマイルス・デイヴィスバンドを語ることができません。

トニー・ウィリアムス

プロフィールは以前の記事のリンク以前の記事のリンクを貼っておくのでご覧ください。

マイルスバンド第二黄金期を作り上げた1人として有名で、若干17歳にしてマイルスのバンドに加入。マイルスはこいつをバンドに入れたらすごいことになると確信していたそうです。

トニー・ウイリアムスのルーツ

前にもあげましたがマイルスバンドに入る前はサム・リバースというサックスプレーヤーのバンドを一緒にやったり、他にもジャッキー・マクリーン(こちらもサックス奏者)と演奏するなど10代前半にして大活躍をしていました。

ジャッキー・マクリーンバンドではオーソドックスなジャズを経験し、サム・リバースとはもっとアバンギャルドなジャズを経験することで若くして幅広い演奏を行えるようになります。

それにアラン・ドーソンという完璧なメンターがいたので基礎もバッチリで悲の打ちどころがありません。

ほかドラムプレイヤーのアナライズにも熱心でアート・ブレイキー、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ロイ・ヘインズ、マックス・ローチなどを研究していたようです。

この影響かマイルスバンド加入当初はマックス・ローチのプレイを真似してハイハットをあまり踏まなかったようで、これを聞いたマイルスから「アート・ブレキーみたいに踏め」と指示されていたとか。

この“指示”はトニーのプレイスタイルを独自の進化を遂げる方向に導きます。

それからしばらくして、2拍、4拍目で踏まれることの多いハイハットに対し、それまであまり踏まなかったハイハットを4拍すべてで踏むようになり、彼の特徴的なプレイスタイルとして定着します。

このスタイルについては前回記事で解説しているので割愛しますが、これが後に伝説的なプレーヤーとして名を馳せるトニー・ウィリアムスの独特なプレイスタイルの始まりとなりました。

第2黄金期バンドができるまで

マイルスバンドでは、トニー加入前にやっていたバンドが解散した後、新しくロン・カーターとトニー・ウィリアムスが入り、その後にハービー・ハンコックを呼び込みオーディションをするかのようにマイルスは3人をスタジオに集め彼らだけで演奏させます。

マイルスはその様子を別のブースから見ていたそうです。

ある程度形が整ってきてからマイルスがスタジオに現れ、そこから新しくこれでバンドをやろうとなります。

そこからは新バンドでやっていこうとするのですが、マイルスの隣で吹いていたジョージ・コールマンというテナーサックス奏者のプレイスタイルが新バンドにはなかなかハマりません。

というのも前回紹介したモード奏法がさらなる進化を遂げてコードの垣根がなくなっていく時期へと突入していたからです。

ジョージ・コールマンはマイルスの意図する方向とは真逆のプレイスタイルでコードトーンを意識させるような堅実な演奏が得意なため、マイルスとの相性がよくありませんでした。

そのうえマイルスはこれまでの演奏からより解放された自由なスタイルをとりはじめ、バンド全体の演奏がどうしてもまとまらない。

このアンバランスな構成をトニーがよく思わず、もっとアバンギャルドに吹けるエリック・ドルフィーやサム・リバースをマイルスに紹介したりと、自分の気に入っているプレイヤーをピックアップしていきます(ちなみにトニーはバンドの中でも業界的にも若手でエリックやサムは大先輩です)。

トニーはだいぶ身内をひいきにしてマイルスバンドに入れさせようとしていた、というエピソードも残っています。

しかしマイルスはエリックもサム・リバースもどちらもメンバーにしたくはなかったようで、以前突然電話をよこしてきたウェイン・ショーターというプレイヤーを思い出しコールしました。

ウェインはその頃アート・ブレイキーのバンドに加入していたいためこの時点での加入はできず、マイルスはしばらくトニーの意見を聞いてサム・リバースをバンドに招きツアーをおこないます。このとき日本で行われたライブがレコーディングされ音源になっています。

その後ウェインのアート・ブレイキーとのバンド契約が終わりマイルスはやっと自分の気に入ったプレイヤーを入れることができました。

これで第2黄金期のメンバーが揃いました。トニーのもくろみは外れましたがこのバンドはここからものすごい勢いでジャズシーンを変えていき、多くの名盤を残していきます。

この第2黄金期のバンドは真面目で音楽にストイックだったのでライブが終わった後は夜な夜なホテルの誰かの部屋で、その日のライブや音楽について語り合っていたそうです(もちろんマイルス抜きで)。

マイルスはそのことを知っていましたが何も言わずただライブで演奏するだけでした。ですがメンバーがどういう性格でどういうマインドでステージに上がっているかがすぐわかるそうでメンバーのことについて自叙伝でも多く語っています。

その自叙伝でも特にトニーのことはかなり多く言及されます。

マイルスから見たトニーウイリアムス

マイルスから見てトニーはどう見えていていたのでしょうか。マイルスはトニーのことをバンドの中心となる存在でこいつがいればやりたいことがなんでもできるとベタ褒めしていました。

マイルスはトニーのドラムの音に惚れ込んでいましたがトニーもマイルスのトランペットの音に惚れ込んでいて、特にマイルストーンズは傑作だとマイルスに伝えたそうです。

そうするとあのマイルスが舞い上がって何年かぶりにマイルストーンズをやろうと決意し、いつの間にか第2黄金期のレパートリーとなりました。

そのほかにもマイルスはあまりたくさんの練習をする方ではなかったのですがトニーはマイルスに「なんで練習しないんだ⁈」と唯一言ってきたプレイヤーだったそうです。

これをきっかけにやらなくなった練習をまた再開させるようになった、とか。

マイルスが言うには「後にも先にもこういうドラマーはいない。間違いない。」と断言しています。

あのマイルスが共演したドラマーをここまで褒めちぎることはないのでやはりとてつもなくすごかったのでしょう。

私もここまで完成されているドラマーはトニー以外見たことがありません。

トニーがマイルスバンドに参加してるオススメのアルバム

「Seven Steps To Heaven」はトニーが初めてマイルスバンドで参加したアルバムです。この時はバンドメンバーがまだ定まっていなかった頃なので参加曲は”Seven Steps To Heaven”,”So Near So Far”,”Joshua”の3曲となります。これらの曲はライヴでの定番曲になっていきます。

ライヴレコーディングとなる「Four And More」はかなりの変化を遂げてSeven Steps To Heaven”と”Joshua”を聴くことができます。スタジオ版を聴き込んでライヴ版を聴くとこの進化にかなり驚くと思います。

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Sony

E.S.Pあたりからウェイン・ショーターが揃いマイルスのやりたいことが形になってきたアルバムです。

コードがあるようでコードを感じさせないところにロンとトニーの鉄壁グルーヴに押し出すようなコンピングをハービーとトニーで作っていきます。

これはフィリー・ジョー・ジョーンズのマイルスバンドでの役割を解説した時と言っていること同じだと感じられるかもしれませんが質感が全く異なります。

トニーの方がよりスリリングでコンピングの仕方もバスドラムとスネアのフレーズをよりリニアにしています。

フィリーはいい意味で次に何が来るのか予測しやすいのですがトニーのコンピングは予測困難です。横の流れはスムーズなのですがいきなり「ドン!」と来るようなラッシュを決めてくるフレーズは爽快であり、同時に獣のような恐ろしさも含んでいます。

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ソニーミュージックエンタテインメント

このアルバムではトニーが作曲した“Pee Wee”という曲が収録されています。ロマンチックでミステリアスな曲になっていてドラマーが作ったとは思えないくらい複雑さと美しさを秘めています。

マイルスが前にでしゃばることがほとんどなくアルバムを監修するようなポジションになっているのも特徴的です。

1曲だけ毛色が違う曲が入っていて“Nothing Like You”という曲が入っています。すごくシリアスな曲が続いた後にこれが流れるのでめちゃめちゃ新鮮に聴こえます。ちなみにこの曲のドラマーは先代ドラマーのジミー・コブです。

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Columbia

「Nefertiti」は「Sorcerer」と同時期に出したアルバムです。そしてこの「 Nefertiti」はドラマーとしては必聴アルバムです。1、2曲目に収録されている“Nefertiti”“Fall”はひたすらテーマのメロディを演奏しているだけですが、唯一変わっていくのがトニーのプレイです。

コーラスを重ねるたびに激しく盛り上がっていくのですがアイデアが尽きることなくどこまでも盛り上がっていけるのはドラマーとして絶対勉強になると思います。

そしてこのアルバムでもトニー作曲の“Hand Jive”という曲も入っていてメンバーのオリジナルをピックアップしているアルバムになっています。

トニーが与えた影響

トニーがジャズドラムに与えた影響は途方もなく大きくこの後に出てくるジャック・ディジョネット以降はほとんどトニーのエッセンスを持っています。

フィリーのような安定感あるビバップの感じからフレーズ感を出さない、もっと抽象的で、カラーを変えられるドラミングのアイデアを提示できたのはトニーが初めてでしょう。

それができたのもこのマイルスバンドを通して完成されたことなのでトニーがすごいのはもちろんですがバンドの音楽をまとめ上げ、進歩させるマイルスの凄さにただただ驚くばかりです。

ドラマーが元からすごかったのかマイルスのリーダーシップで変貌を遂げたのかは今となっては知るよしもありませんがマイルスに関わるドラマーはすごいというシリーズを続けて取り上げてきました。

また他にもあれば取り上げてみようと思いますので楽しみにしていてください。



ABOUTこの記事をかいた人

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野澤宏信 1987年生。福岡県出身。12歳からドラムを始める。2006年洗足学園音楽大学ジャズコースに入学後ドラムを大坂昌彦氏、池長一美氏に師事。在学中には都内、横浜を中心に演奏活動を広げる。 卒業後は拠点をニューヨークに移し、2011年に奨学金を受けニュースクールに入学。NY市内で演奏活動を行う他、Linton Smith QuartetでスイスのBern Jazz Festivalに参加するなどして活動の幅を広げる。 NYではドラムを3年間Kendrick Scott, Carl Allenに師事。アンザンブルをMike Moreno, Danny Grissett, Will Vinson, John Ellis, Doug WeissそしてJohn ColtraneやWayne Shorterを支えたベーシストReggie Workmanのもとで学び2013年にニュースクールを卒業。 ファーストアルバム『Bright Moment Of Life』のレコーディングを行い、Undercurrent Music Labelからリリースする。 2014年ニューヨークの活動を経て東京に活動を移す。現在洗足学園音楽大学の公認インストラクター兼洗足学園付属音楽教室の講師を勤める。