頭に手ぬぐいなんかを載せて、立ちこめる霧のような、細かな湯気。
軽い硫黄の匂いにワクワクする。なめらかに光る湯船に足を入れ、腹のあたりまでつかって、ブルル!
熱さを感じながら、ゆっくりと肩までつかって、ふかーくため息を吐く。最後に両手で湯をすくい、顔にばしゃっ!
なんて光景の似合う、神奈川県箱根町をご存知だろうか。
全国にある温泉街でも、比較的有名な部類に入るだろう。同地にて旅館を運営する知り合いは、ここ1〜2年は特に客入りがすごく、温泉人気というのもあるのかもしれない。
さて、何かと風呂にばかり目が行きがちだが、箱根町にもいろいろ観光資源がある。
仙石原ススキ草原や、芦ノ湖、古くからある茶屋など。
今でこそ交通の便が豊かになったため、山の上でも下でも違和感は少ないが、少し前を振り返ってみれば、険しい山にとざされた、別世界であった。
そのため、いずれも独特の雰囲気を持っている。
そんな箱根には、1つ。おもしろい建物がある。
高いプライドを感じる富士屋ホテル
創業明治11年。つまり140年前の建築ということになる。
現在も多くのお客様を迎え入れているというのは、ひいじいさんが、バイクに曲芸立ちしながらアイアン・メイデンのギターソロを弾いているのを偶然見かけたような、そんな驚きを感じる。
確か山梨県に700年代(決して1000を入れ忘れた訳ではなく、ズバリ700年代)創業の旅館があったかと思うが、ここは箱根だ。先述の通り別世界なのである。
よくぞここまで守り抜くもんだ、と膝を打つ。
さて、どうも最近は、広くてでかい、もしくは間接照明で陰影が濃い、空間がぽっかりと空いている、という建造物が人気のようだが、なにぶん140年前。
そういった流行のものは特にない。
まして箱根の山間に位置するホテルなので、横、よりも縦に広く作られ、いくつかの建物がつながっているというような塩梅だ。
といっても、高層階のようなものではない。外から見るよりも、ちょっと散歩がてら歩いてみると面白い。そういうホテル。
実を言うと、食事やお茶、見学には何度か訪れているが、宿泊したことはないのだ。
これだけ格式高いホテルとなると、お値段もそれ相応。僕のような、業界の末席も末席。
ほとんど席など離れて、廊下でみかんの段ボールを文机代わりにしているような貧乏ライターでは、泊まることはなかなか。
また、実のところ、車で40〜50分ほど行くと、自宅に着く。
そんなこんなで泊まる機会を逸してしまっている。
そのため、あくまで観光で訪れる、という視点でしか見ることができない。
なにせ客室に入っていないのだから、宿泊の参考にはならないと思う。あしからず。
一時期は外国人専用の宿泊施設になったりもしていた。
このあたりの歴史的経緯は、富士屋ホテルのHPにも、ホテル内の資料館にも、実に詳細にまとめられている。
まるで1つの博物館のようだ。そちらで見聞きして欲しい。
さて、戦後の箱根といえば、アメリカ軍に遊興地として好き勝手されたという歴史がある。
富士屋ホテルも貸与という名の接収を受け、9年に渡る時間を奪われた。
横須賀などから街娼を伴って来訪し、方々の旅館でトラブルを起こしたという記録も散見するほか、今も伝え聞く。
よくよく調べるとちょっとむかっ腹の立つ話ばかりだが、この辺りは、箱根町の観光協会の方が詳しく掲載されている。
そちらをご覧いただいたほうが話は早い(あんまり書くと右だの左だの、信号を渡る小学生みたいなことを言われる)。
ほかにも、山間だからこその天災なども。
つまるところ、事実は小説よりも奇なりを地で行く。さまざまなことが起こっても、現在までその姿を残してきた。
この姿勢こそが、富士屋ホテルというプライドのような、ぷらぷら歩いたり、食事をしたりするだけでも、誇りを感じるのだ。
これは実際に訪れた人しか分からないだろう。
写真を撮ったのは、実は少し前。2017年も末のこと。まだまだ紅葉の美しい時期であった。
ホテル内を散歩してみる
この日は食事の予約をしていた。思ったより道がすいていたので、存外早めに着いてしまった。
もともと目的のない散歩が好きなので、こういう時間は苦にならない。
ホテル内を行くと、このような場所もある。朱塗りの、城下町にあるような橋に似た階段。
龍の彫刻も見事で、登っているときは城下町。上がりきれば、まるで神道のお寺にいるような気分にもなる。
こちらは猿と蛇をかたどった彫刻。なにぶん、地頭のわるいもので、何のモチーフなのか分かっていない。
が、毛並みと鱗の表現が細かく、生々しさがある。
さて、フロントまで行ってみましょう。
この敷き詰められた絨毯、木材の色味が実にいい。エアコンではなく旧式のヒーターなのか、それとも建築に使用されら木材の影響か、屋内のあたたかさがやわらかい。
僕の安い言葉で汚してしまうのは忍びないが、細部に彫刻があり、これには実に面白みがある。キレイ、とか、オシャレ、とかよりも面白いのだ。
こちらは喫煙所内の手洗い場。温泉が出続けている。なぜ喫煙所に!?
ロビーの天井は、外観から想像するよりもずっと高く、どのような構造になっているんだろうと考えてしまう。
こちらは万国髭倶楽部のお写真。海外での知名度を上げるため、ホテル側が主催したものらしい。
10ヵ国43名の登録があったとの記述が。
こちらが企画した当時の専務、山口正造氏。これから伺うメインダイニングもこの方の手によるものだそう。
ご立派なお髭である。
ほかにも尾長鶏をかたどった彫刻が現れたり(この尾は床まで続いている)…
かと思って横を向けば、旧フロントデスクカウンターには仏像がいらっしゃる。
なんだかさまざまな時代、文化をごちゃまぜにしたようなデザインなのに、それらがほどよく調和していて、「オシャレ」ではなく「洒落」ている。
ふらふら歩き回っておもしろいのは、シンメトリーに整えられた、無駄のないシンプルさではなく、案外こういうものなのかもしれない。
そしてその洒落っ気は、現在も続いているようだ。おとずれたのはクリスマス前だった。
さて、お食事の時間となったので、「ザ・フジヤ」に移動する。
メインダイニングへ移動
ランチはほぼ満席。みさなんがお食事を楽しんでいる中バシャバシャ写真を撮るのは不作法かと思い、折りを見て数枚しか撮影していない。
メニューはコンソメスゥプ(太宰風記述となるほどの古式ゆかしいコンソメスープ)からメインに至るまで、味は当たり前としてお皿のセンスも抜群であった。
こちらは、是非伺った際に確認してみてほしい。正調洋食料理とでもいうのか、月並みな表現で申し訳ないが、マジうまい。それぞれの素材の香りが、実に食欲をかきたてる。
御簾が垂れ下がっていたり、トーテムポールを模したものがあったり。
数々の彫刻と調和する。ポリネシアの森林の中に、急に現れた西洋風高級レストランで、動物たちに囲まれて食事をするような、不思議な感覚がある。
しかも、外を見りゃあ大量の観光客を引き連れた旅行社の方が、手に旗を掲げてご年配の方々を引率している。
宮沢賢治の世界にでも迷いこんでしまったのではと不安になり、ワインをがぶ飲みする。更に訳が分からなくなった。ここどこ?
面白い、というのは「笑われる」というのと混同しがちだが、存分に「笑わせて」いただいた。
今も残る「洒落」たホテル。2018年3月31日のチェックインから、4月1日のチェックアウトを最後に、約2年に渡る大改修に入るそうだ。
最近流行の外資系ホテルのように、インスタ映えするほどこじんまりしたものはない。
140年の伝統とは、もう少し、大きい。