報徳二宮神社で、88年ぶりに鳥居を変えると聞いた。
そこで、鳥居の笠木(上に乗っているやつ)を大勢の人で曳(ひ)き、式典などをやるというのだ。御木曳き(おきひき)と呼ばれるそう。
これは事前予約で誰でも参加できるというので、さっそく予約。
次は50年後だという。ちょっとワクワクしながら当日を待った。
報徳二宮神社の御木曳き
さて、当日の朝。
“御木曳き”という言葉からはどんな行事なのかよく分からず、なんとなく“御柱祭り”のようなものを想像した。
御柱祭りといえば、人間数十人で、でかい丸太を崖上から落とし、一緒に猛スピードで駆け下りていくというものだ。かなり過酷で、何人か亡くなった方もいる。
そんなところに悠長にカメラなど構えられる訳がない。
愛機は置いていき、スマホと参加費を持つだけの軽装とすることにした。
服装は自由とのことだが、お祭りによく着る白い半纏か、白い服が望ましいとのこと。
こんな感じになりました。このとき、既に崖上にいるような気分になっていた。そのため、苦笑い。
会場到着! 既にちょっと汗をかいています。さて、受付はどこかな。
係の人に聞いたら、報徳会館とのこと。集合場所からちょっと離れてる! 受付時間終了まであと6〜7分! 走る!
報徳会館は団体受付で、個人受付は小田原城の馬出門だった…。報徳会館からまた走り、締め切り時間ギリギリに受付へとたどり着く。
参加料1,000円を支払い、はちまきと木札をもらった。既にクタクタである。
会場でぼけっと突っ立っていると、開会式のごあいさつ始まる。
ちなみに、木札についた房の色でくみ分けされる。待機中は並ぶことになるが、僕は最前列に並ぶ。前面に見える大木が、御木。
樹齢300年の杉から切り出し、2年かけて準備したそうだ。なんとなく、やる気満々になる。
超アリーナ席で見る開会式。平均年齢が高い。
外郎(ういろう)太鼓なるものスタート。小田原名物ういろうの関係なのだろう。
めちゃくちゃうまい!
神事が執り行われる。
なんか派手な山車の姿を見つける。一緒に引っ張るのかな。
案内に従って道路上に出る。交通封鎖されているので、道路の真ん中。
気持ち的には御柱祭りに来ている。こんな頼りないもので大丈夫か!?
実行委員長のかけ声で一斉に歩き出す。ベン・ジョンソン並みにひもを持って走るのかと思ったら、ゆっくり歩いて行くらしい。
「なーんだ、そんなもんか」と思ったのはここまで。
この人数でねり歩く。画像中央少し上、ちっちゃい木造の鳥居が見えると思う。
あれが御木だ。ちなみにもう一つ注目してほしいのは上空。すがすがしく晴れた8月である。日陰はほぼない。直射日光!!
縄というよりもひもであるが、こいつは、別に引っ張る必要はない。持って歩くというところ。今朝の高揚感は霧散した。
ここで気づいた。アウェイ感尋常ではない。周りは夏休み中の子供を連れた家族、建設系団体の人々、観光客と見える見学カップルなどが多い。1人で参加しているの、まさか僕だけじゃないだろうな…。
ようやく折り返し地点に到着。既に汗をかきすぎてグロッキー。
式典が始まる。日陰になる部分がないので、この辺りから熱中症となり意識がもうろうとし始める。
エイエイオーのかけ声に参加する。熱中症のせいか、なぜこんな写真を撮ったのかは覚えていない。
再出発! 一路、報徳二宮神社へ。花火も打ち上がる。
太鼓の演奏隊に見送られる。直射日光でよく…。頭下がるぜ。
またひもを持って移動開始。既に意識消失。無心。
報徳二宮神社が見えてきた!
ようやっと到着した…。
近くで見るとなかなかの迫力のある山車。静岡県の森町から持ってきたらしい。
報徳二宮神社と同じ明治27年に作られたそう。来年5月の松原神社(小田原市内)のお祭りにリニューアルしてお披露目されるそう。これは見に行くしかない。
御木が入ってくる。大工の棟梁達が木遣りを上げながら入場。一瞬、神々しさを感じる。
改めて見ると大きい!
その後閉会式…
子供向けのお菓子の配布…
というより菓子投げがあり…
終了。
この後、お昼休みを挟んで先ほどの御木を鳥居に組み上げる立柱祭なるものがあったそう。僕は直射日光にやられたのでここらで退散。
歴史的意義というモチベーションを超えた過酷な環境にさきほどまで倒れ込むように休んでいた。
次に参加する人は是非、日光対策をしてほしい。かなりキツイ。
といっても、次回は50年後。50年後の参加者の無事を祈り、終了とする。