お久しぶりです。ありがたいことにさまざまなお仕事のご依頼をいただき、ながらく更新が止まっていました(汗)。
前回ジャズギターのアドリブソロの台頭と、チャーリー・クリスチャンについて書きました。
そこでチャーリークリスチャンと同年代のお話を、なんてリクエストもいただきましたので、今回は、同じ時期に活躍した、もう一人の天才ギタリストについてです。
ジプシージャズって知ってる?
ジプシージャズって、ご存知ですか? ヨーロッパはフランスで生まれたJAZZのスタイルです。
ギター3本にダブルベース1本、それにヴァイオリンとクラリネット、などのような構成で、ドラムがあまり入らないのも特徴ですね。
ギターは四つ切り、とよばれるジャカジャカと演奏するスタイル。比較的早いフィンガリングのアドリブソロをとります。
バラードみたいな曲よりもアップテンポな明るい曲が多く、とにかくノリがいい。
ほかにもいろいろ特徴はあるんですが、今回お伝えしたいのは、ギターが主役にのぼることが多いということ。なぜかって?
ジプシージャズを流行らせたのは、ギタリストだからです。
ジプシージャズの創始者はジャンゴ・ラインハルト
ジプシージャズを世に知らしめたのはこの人、ジャンゴ・ラインハルトです。1910年ベルギー生まれ。
定住せず移動しながら生活することを基本としたマヌーシュ出身であるジャンゴは、幼少期から音楽に親しんでいたようですね。
彼がJAZZの歴史に偉大な足跡を残すきっかけとなったのは、実のところ第一次世界大戦によるところが大きいのではないでしょうか。
1914年に始まったこの戦争は、3年後のアメリカの参戦により、多くのアメリカ人兵士をヨーロッパに送りこみました。
そして、従軍音楽隊も彼らを追うようにヨーロッパに上陸。
JAZZ発祥はアメリカにて1900年ごろと言われています。
誕生から10数年経っていたJAZZは、第一次世界大戦の特需景気により、同国南部の黒人達が北部の工業地帯に労働力として移動したことで大陸全土へと流布していきます。
そのため件の従軍音楽隊がヨーロッパに上陸したとき、JAZZは既にアメリカ人の間に音楽として浸透していました。
余談ですが、この音楽隊の従軍兵士達は、アメリカよりも人種差別的扱いの少ないこの場所を気に入り、戦後も訪れていたようです。
1929年に起きた世界恐慌により、アメリカでの仕事にあぶれたJAZZミュージシャン達がヨーロッパへ逃げるように渡っていったというのも、この従軍時の経験からだったのかもしれません。
JAZZを“生もの”として触れるジャンゴとヨーロッパの人々
さて話を1910年代に戻します。
JAZZの初めてのレコード発表は、1917年のオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドの作品。
第一次世界大戦開戦当時のヨーロッパの人達は、JAZZというものを、音源として聞く機会はほとんどありませんでした。
そのため、従軍音楽隊が目の前で奏でる、“生もの”として触れていきます。JAZZファンはご存知の通り、JAZZほどライブと音源の差が出るものはなかなかありません。
今となっては想像の域を出ませんが、レコードを通さず、リアルな熱を感じながらJAZZを聞き始めたことが、ジプシージャズを誕生させるほどのJAZZ熱を発生させた、ファクターの1つかもしれませんね。
さて、ジャンゴはそのころまだまだ子供ではありましたが、マヌーシュ達は音楽を愛し、定住せず移動を続ける民族。
徐々にヨーロッパ全土へと広がるJAZZについては、どこかで見聞きしていたのではないでしょうか。
ただし、ジャンゴはまだJAZZに傾倒するというほどではなかったようです。
そして彼は10代となると、音楽家としてのキャリアをスタートさせます。
まだまだジプシージャズにはたどり着きません。彼の初録音は1926年。
その際も、ジプシージャズのアイコンであるセルマーのギターも、まだ使用していませんでした。
バンジョーを中心に演奏を繰り広げていきます。
ジャンゴ、火事にて左手の機能の一部を失う
年代を追って話すならば、次にジャンゴのトピックとして出てくるのは、1928年のこと。
自宅、というものを持たないマヌーシュ達は、いわゆるキャラバンで生活をしています。
そのキャラバンで火事が発生。その際、左手の小指と薬指に後遺症の残るほどの火傷を負います。
彼は晩年までこの後遺症を引きずり、左手の薬指と小指を使用しない演奏をすることとなります。
実際聞いてみると、驚いたことにそんなハンディキャップはほとんど感じません。おそらく、このエピソードを知らなければ、微塵も感じることはないでしょう。
当時の写真を見ると、彼の左手の独特な持ち方を確認することができます。
そしてその持ち方からは想像できないほど、素早く、クリエイティブな演奏。
彼の奏でる音を聴いたギター弾きなら分かる通り、その裏には比類無き努力があったのでしょう。頭の下がる思いです。
ジプシージャズ誕生!
さて、従軍音楽隊がまき散らしたJAZZのエッセンスは10数年の時を経てヨーロッパ全土に染み渡り、JAZZバンドやJAZZクラブも作られていきます。
そうした土壌の整備が済んだところで、ジャンゴ・ラインハルトが、冒頭でお話しした、ヴァイオリンをいれたバンドと一緒に、新しく、軽快なJAZZに挑戦します。
それが1934年。
フランス・ホット・クラブ・五重奏団というバンドによってでした。
もちろん、ジャンゴ・ラインハルトの参加しているバンドです。
このときの編成が、ギター3本にヴァイオリン、ダブルベース1本。
そう、今も続くジプシージャズの原型です。このスタイルは、実はジャンゴのオリジナルではありません。
この時代のギタリスト達に多大な影響を残した、エディ・ラングの編成から着想したのではと言われています。
それが、エディ・ラング&ジョー・ヴェヌティの作品。
1920年代のもの。実際聞いてみると、確かにジプシージャズにつながるような部分がチラホラ。
ジプシージャズはフランス生まれの音楽ですが、さまざまな影響を受け、約20年の熟成期間を経てできあがりました。
この後のジャンゴの活躍もいろいろあるのですが、それは長くなってしまうのでまた今度。
1953年に若くして亡くなるまで、JAZZというものの新たな側面を開拓し続けていきました。
最後に
そして現在。ビレリ・ラグレーンを代表する技巧派ミュージシャン達が、その流れを汲んだ演奏を続けています。
従軍音楽隊は戦争のつらさを忘れるためにこそ戦地へと向かうものですよね。
戦争という野蛮な行為を皮切りに生まれた、美しく楽しげな音楽は、明るいリズムであればあるほど、また戦争というものの闇の深さを表すようで、ジプシージャズの古い曲を聴くと、なんとも苦笑いが漏れてしまいます。
さて、今回はジプシージャズの誕生と、そのきっかけとなった第一次世界大戦についてのお話でした。
4ビートのモダンジャズも大好きなんですが、ジプシージャズのフィーリングはまさに晴れの日という感じ。
落ち込んだときや、休日の朝にぴったりです。是非聞いてみてくださいね。
さまざまなことが影響しあって、今も世界のどこかで演奏されているJAZZ。
次回もちょっと変わった側面からお話ししていきます。お楽しみに。