久しぶりに困ったテーマをもらいました
今回AOI JAZZ編集部より提示された原稿テーマ「最近のジャズと昔のジャズの違いって何?」ですが、これには正直困り果てました。
違うといえば一目瞭然に違うし、同じだといえば同じであるし、そもそも「昔」と「最近」の定義って・・・。
単に時代によるジャンル分けを列挙するならどこか他のところでもやってそうだし…。
とはいえ、この壮大なテーマ設定もAOI JAZZ編集部から僕への信頼だと一方的に受け取って原稿に臨むとしましょう。
ここでは偏見と独断による、というか偏見と独断でしかない僕の意見を自分勝手に述べようと思います。
多くの異論はあるかと思いますが、まあ最後まで読んでみてください。
最近と昔のジャズの違いは「複雑」か「シンプルか」
最近のジャズと昔のジャズの違い、それを極端に平たい言い方で表現するならば複雑であるかシンプルであるかでしょう。というか、でしかない、と思います。
恐らく多くの方はリズムやハーモニー、スイング感の違いなどという切り口からの考察を期待されたかもしれませんが、僕個人としてはその部分はさほど重要だとは思いません。それらはあくまで外形的な違いであって
本質的な違いを表現するものではありません。
唐突ではありますが、今回この記事ではジャズをラーメンに例えて説明していきたいと思います。
あっさり醤油のラーメン、家系ラーメン、博多ラーメン、二郎系などさまざまなジャンルが存在しますが、多くの顧客が求めるものは“美味いラーメン”です。
ラーメンフリークの人を除いて1つのジャンルのラーメンをずっと食べ続ける人はいませんよね。
もちろんそのときの気分によって食べたいラーメンのジャンルは変わるかもしれません。
しかしそれでも、多くの人が求めるのはそのジャンルの“美味いラーメン”です。
家系だったら何でも美味いよ! というシチュエーションもないわけではありませんが稀でしょうし、下手をすれば舌が肥えていないためにそう思ってしまうのかも…。
とにもかくにも、上に挙げたラーメンのジャンルをジャズのジャンルに、「美味いラーメン」を「素晴らしい演奏」に置き換えるとご理解いただきやすいかと思います。
ですから時代やそれに伴うスタイルの違いではなく、その演奏が素晴らしいかどうかによく注目して聴いて欲しいのです。
確かに何が素晴らしいかは人によってさまざまかもしれません。
しかし、さまざまなものを聴き、時にはラーメンフリークのように1つのジャンルを聴きまくることにより、耳を肥やすことによって少し前の自分では気づかなかった新たな味わいに気づくこともあります。
そのうえで、以前はなんとなく聴き流していた演奏をもう一度聴きなおしてみると新たな発見があるものです。
ゆくゆくはラーメン(=ジャズ)というくくりを超えて、さまざまな食べ物(=音楽、もしくは芸術)に手を伸ばすことによってさらにどっぷりと芸術の世界にはまっていけると良いのですが、AOI JAZZというウェブサイトの性質上、ここまでで止めておくべきでしょう(笑)。
ジャズは生き様! はあながち外れていない
ジャズという音楽はそもそも20世紀初頭頃からアメリカで発祥した音楽ですが、時代が下るにつれてジャズという言葉の定義は非常に幅広く、曖昧になってきます。
それに伴い、ジャズ自体の複雑さも増していくのですが、根底に流れるものは基本的に変わらないと思います。
聞くところによると某ジャズクラブの店主がジャズってのは生き様だ! と言っていたそうですが、まさに言い得て妙です。
逆の言い方をするならば、いくらジャズスタンダードをジャズっぽいハーモニーやスイングをして上手に演奏しようと「そこ」から外れてしまっているものは厳密にはジャズじゃないよね、ということかもしれません。
こんなことを書くと、じゃあジャズって何だ? とかそういう流れになってきそうですが、僕の考えとしてはそんなこと考える暇があるなら音楽やろうよって話です。
何がジャズかそうでないかなどという話は評論家と呼ばれる人たちに任せておけば良いのです。
ラーメンは論じるものではありません。食べるものです。ジャズも然り。
話を元に戻して、ジャズは時代を経るにつれてさまざまに進歩してきました。
ラーメンでもそうですが、昔のものはシンプルで最近のものはシンプルだけでなくとんでもない盛り付けのものまでさまざまな選択が可能です。
その中から時代や演奏スタイル、ましてや知名度などに囚われるのではなく、真の意味での演奏の良さにフォーカスしてジャズという音楽に向き合ってみるべきではないでしょうか。
1つ書き残しました
ジャズに限らず一般的に古いものは年月の流れによって淘汰され、良いもののみが生き残る傾向にありますが、新しいものは必ずしもそうではありませんね。